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仙台地方裁判所 昭和31年(行モ)1号 決定 1956年10月10日

申立人 鈴木和蔵

被申立人 吉田村選挙管理委員会

主文

当裁判所昭和三十一年(行)第一四号村長解職請求者署名簿無効確認等事件の判決確定に至るまで被申立人が昭和三十一年十月三日なした宮城県登米郡吉田村村長解職請求による住民投票期日を同年同月二十三日とする告示(昭和三十一年告示第二十七号)の効力はこれを停止する。

(裁判官 中川毅 野村喜芳 金子仙太郎)

村長解職投票の執行停止命令申立

申立人      鈴木和蔵

右代理人弁護士  佐藤達夫

被申立人     吉岡村選挙管理委員会

右法定代理人会長 伊藤文雄

申立の趣旨

仙台地方裁判所昭和三十一年(行)第一四号村長解職請求者署名簿無効確認並村長解職請求者署名簿の署名に関する決定取消請求事件の判決確定に至るまで、被申請人が昭和三十一年八月三十一日申立人よりの異議申立につき為した却下決定の効力を停止する。

手続費用は被申立人の負担とする。

との御裁判を求める。

申立の理由

申立人は宮城県登米郡吉田村々長の選挙権を有し且つ同村長であるが、被申立人は訴外衣川精、桜井進に対して昭和三十一年七月十七日吉田村々長の解職請求代表者証明書を交付し、同日その旨告知した。そこで請求代表者である衣川精、桜井進は直ちに署名収集運動を開始し、法定数(壱千拾)を超える壱千四百二名の有権者の署名を得て、昭和三十一年七月二十六日その署名簿三十一冊を一括して被申立人に提出し、その署名者が吉田村の選挙人名簿に記載されてあることの証明を求めた。被申立人は各署名につき審査を行い同年八月十二日署名数壱千四百二中、有効署名数千二百七十三、無効署名数百二十九と決定し、同日その証明をすると共に吉田村々役場に於て縦覧に供した。

而して申立人はこれに対し同年八月十八日異議の申立をしたところ、同年同月三十一日被申立人は壱千二百七十三の中、八十七は無効、残壱千百七十六を有効と修正決定を為し、申立人は同日その旨通知受けたので昭和三十一年九月十三日仙台地方裁判所に署名簿無効確認並決定取消請求の訴を提起し、目下同庁昭和三十一年(行)第一四号事件として係属中である。

一、被申立人は吉田村々長解職請求代表者衣川精、桜井進より法令の定める成規の手続によらないで村長解職請求者署名簿三十一冊を昭和三十一年七月二十六日一括受理し、その署名につき審査を行い昭和三十一年八月十二日署名総数壱千四百二の中、有効署名数壱千二百七十三、無効署名数百二十九と決定したがその審査決定は全部無効である。従つて被申立人が申立人よりの異議申立により有効署名千二百七十三の中八十七を無効、残千百十六を有効と為した修正決定もまた無効である。

(イ) 被申立人より村長解職請求代表者であることの証明書を受けた衣川精、桜井進はその告示のあつた昭和三十一年七月十七日より一ケ月の期間内に有権者に対し署名捺印を求め、その期間満了の翌日より五日以内に右署名簿を選挙管理委員会に提出しなければならないことは地方自治法施行令第百十六条により準用せられる同令第九十二条及九十四条の規定によつて明白なところである。

(ロ) 然るところ村長解職請求代表者衣川精、桜井進は被申立人に対し昭和三十一年七月二十六日村長解職請求者の署名簿三十一冊を一括提出し、その署名の証明を求めたのである。

右は前記施行令の規定を遵守せざる違法がある。即ち告示は昭和三十一年七月十七日であるから一ケ月の期間満了は昭和三十一年八月十七日である。従つて署名簿は同年八月十八日より同月二十二日迄の五日以内に提出しなければならないのに右収集期間内である昭和三十一年七月二十六日に提出し、これを受理審査したことは違法にして無効である。

(ハ) 被申立人が右請求代表者より昭和三十一年七月二十六日に村長解職請求者署名簿を受理したことによつてその署名者壱千四百二人は、請求代表者を通じて自己の署名捺印を取消し得る機会を失つたのである。(施行令第百十六条同令第九十五条)

(ニ) 結局被申立人は右手続に於て村長解職請求者署名簿に署名捺印したる壱千四百二名に対し権利行使の機会を喪失せしめたるものであつてその手続は全部無効である。

二、吉田村々長解職請求代表者衣川精、桜井進は告示のあつた昭和三十一年七月十七日より平間源、佐藤忠男、北浦新之助、阿部正記、岩淵課、伊藤幸一、小野寺勇一郎、佐藤勇記、高橋東右衛門、新田一郎、佐久間主税、佐藤正司、桜田すみえ、後藤栄吉、伊藤郁郎、板倉末吉、菅原正夫、及川幸一、小野寺秋雄、佐藤政夫、伊藤宏、三浦専太夫、及川輝夫、須藤義夫、鈴木末之進、鈴木喜栄、福田源、佐藤軍吾、比毛義三郎、及川益雄、桜井七郎、佐藤猛、福田千里、加藤養作、千葉専三郎、後藤高司、阿部退佐、伊藤勲、平間亀一郎、佐藤政人、富栄増夫の四十一名に署名収集を委任し、昭和三十一年七月二十六日迄の間に解職請求者署名簿三十一冊に有権者壱千四百二の署名捺印を求め、右代表者二名は右三十一冊の署名簿を一括して被申立人に提出し、被申立人はこれを受理し適法のものとしてその後の手続を進行した。

右の様に署名収集を委任したときは請求代表者は吉田村々長及吉田村選挙管理委員会に対して右受任者の氏名及び委任の年月日を文書をもつて直ちに届出なければならないのに吉田村々長には全然その届出をしない(施行令第百十六条、同九十二条)

要するに右受任者の為した署名捺印収集は法令の定める成規の手続によらないものであるから全く無効のものである。

三、別紙第一目録に記載された者の署名は全員自署でない、地方自治法施行令第百十六条によつて普通地方公共団体の長の解職請求に準用せられる同令九十二条第一項によれば「請求代表者……選挙権を有する者に対し署名し印を押すことを求めなければならない」と定められ、厳格なる要式行為として自署が要求されているのである。従つてこれに違反した自署でないものは総べて無効であると言わなければならない。

よつてこれを無効として申立た申立人の異議を却下したのは違法である。(疏甲第一号証の一乃至五を以て各人の署名は自署でないことを疏明する。)

四、別紙第二目録乃至第二七目録記載の佐藤仁一郎外二百六十六名は昭和三十一年七月十七日より同年七月二十六日間に於て解職請求代表者及その代理人等より各分冊署名簿を示され「今度村長が提案し、村議会の過半数の同意を得て村民の総意を無視し、米山村と吉田村とが合併することに決議されたが町村合併の事態は急変し、登米町、吉田村、豊里町の合併は吉田村の態度如何により実現寸前にあつたのだから今度皆でこれに署名捺印することによつて自分等の希望する豊里町と合併することが出来るから、これに署名捺印して呉れ」と申聞けたので署名捺印したのである。

ところが署名捺印後村民、村当局、議会当局、県出張所、隣村民等の風評伝聞によると宮城県庁県案として吉田村豊里町登米町が合併する様勧告受けながらこれを拒否し、その実現は当分のところ見込ないことが判明し、且つ右署名捺印したかは吉田村々長鈴木和蔵の解職請求の署名であることを聞き驚いておるのである。

もともと右二百六十七名は村が平和裡に合併することを希望するのであるが村長解職請求などと言う村を騒がせる様なことなれば署名捺印しなかつたのである。

要するに佐藤仁一郎外二百六十六名は請求代表者及その代理人より吉田村と豊里町との合併の為の署名捺印であると虚偽、偽計、所謂詐偽によつて吉田村村長解職請求者署名簿に署名捺印したものであるから右署名は全部無効である。

申立人より異議申立を受けた被申立人は地方自治法八十一条第二項の準用を受ける第七十四条の三の二項によりその申立を正当であるかを審査し、その結果、申立が正当であれば、これを無効とし、正当でなければ右申立を却下しなければならないのに被申立人は昭和三十一年八月三十一日付申立人宛通知書第三項に「当委員会は請求理由内容の当否について審査権限を有しない」として申立人よりの異議申立を全然審査しないのであるから右決定は違法である。

五、吉田村の政治情勢及その隣村である登米町、豊里町、米山村との関係は左の通りである。

(イ) 昭和三十年十月一日現在の吉田村の人口は五千八百四十九人であるから町村合併促進法により必ず合併をしなければならない村である。それに比し豊里町は同日現在人口一万二人、登米町は同日現在一万三百五十人、米山村は同日現在九千七百九人であるから、何れも合併せず独立して維持運営することができる町村である。

(ロ) 町村合併促進法施行後宮城県よりの案として右二町二ケ村が合併する様指示された。吉田村に於ては先づ町村合併促進委員会を組織し、その委員として六十四名を任命し、その中大委員会委員の互選により小委員として桜井連治外九名が任命された。大委員会は昭二十九年三月五日合併問題を一般に説明し昭和三十一年五月八日大委員会を開催した外その後も大委員会及小委員会を三十七回も開き審議に審議を重ねて右県案実現の為村当局及議会が協力一致努力した。

(ハ) ところが登米町は面積四六・四二平方粁、世帯数千九百二、豊里町は面積三二・六四平方粁、世帯数千五百二十二、米山村は面積三〇・四一平方粁、世帯数千四百二十六、にして何れもその財政に於て豊か且つ大町村であり僅かに面積二〇・一八粁、世帯数八百七十九と言う弱小貧乏村を相手にして呉れぬ恨みが多分にあつた。宮城県庁に於ては今なお吉田村の合併相手村に呼かけて合併の促進に努力しておるのであるがその実現は容易でない。

(ニ) 八方手を尽し豊里町との合併は容易ならざることを知り、又町村合併促進法は昭和三十一年九月末日限りその効力を失うのでその以前に一先づ米山村と段階合併するも止むを得ずとして昭和三十一年七月六日米山村と合併する案を提出し、村議会の賛同により決議を得たのである。

(ホ) 村当局及村議会に於てはその決議に際し、豊里町、登米町との合併を好まざるものではなく、むしろ決議案の提案理由説明、及決議のときより今日まで豊里町、登米町との合併を歓迎し、実現すべく宮城県当局の斡旋方を依頼しておるのであり県に於てもその努力をしておるのであるが豊里町が頑として拒絶しておるのが現況である。

(ヘ) また米山村に於ても吉田村の通告に対し段階合併は拒否しておるので右昭和三十一年七月六日の決議はその実質において効果を生じておらないのである。

六、停止申立の特別理由

以上前記理由中第一項及第二項記載の如く、法令の定める成規の手続によらない署名はその署名が全部無効になるのであるから被申立人が将来行う解職の為の賛否投票手続もその根拠を失う。又理由第三項第四項記載の如く合計二百七十二人の署名が自署でないこと及詐偽による署名であることの理由で無効である。すると被申立人が決定した有効数は壱千百八十六であるからこれより右二百七十二を差引くと残は九百十四となる。吉田村の法定数は壱千拾であるからその数は法定数を欠く、従つて被申立人が将来行う村長解職賛否の投票手続もその根拠を失う。したがつて、その何れの場合もその投票の効力も後日争訟の対象となるおそれも容易に想像されるから右署名の有効、無効未確定のまま爾後の手続を進行するとすれば、これによつて将来生ずるであろう村政の混乱及これに費消される申立人の無用の時間と労力と費用の喪失並精神的損害は莫大なものとなることが想像される、又村全体の一致団結を欠き、国策上避くることの出来ない町村合併、新町村建設計画促進が遅延し、この為め村民の受くる不幸損失も甚大である。

よつて本案判決確定する迄申立人の為した異議申立を却下した被申立人の決定の効力を停止するのを妥当であると信じ本申立に及んだ次第である。

立証方法<省略>

添付書類<省略>

右申立に及びます。

昭和三十一年九月十七日

申立人代理人 佐藤達夫

仙台地方裁判所 御中

(別紙省略)

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